ここ最近、何度か取り上げてきたテーマではあるのですが、
学校の教師や塾の講師による性犯罪の多発について取り上げてみたいと思います。
教育の本質とは、社会に出た際に何らかの判断をしないといけない状況になった時に、正確な判断方法を取る為の訓練
でもあります。
全ての事柄に対して正確な判断をすることは不可能ではありますが、
最適な思考を基に、適切な言動をしなくてはいけない状況になった場合の訓練として「学校における勉強」というものは必要であります。
頭を使いながら、自分自身に負荷を掛けておくことは社会人としては必須なことでもあるからです。
また、
主要五科目である、
国語(現代文、古文、漢文)、英語、数学、理科(物理、化学)、社会(日本史、世界史、政治経済、地理)については、時代の変遷やITを含めたテクノロジーの進化や時代の変遷と共に科目自体を変える、もしくは教育内容のを大幅に変えることも必要なことにもなるでしょう。
・・・今回は、
風俗のブログとは多少、内容が逸れていますが、
改めて教員とは、教育というものを通して
難しい物事を考える際のプロセスを繰り返す練習と、その正解を導き出しながら、それらを社会生活での言動に結び付ける型や習慣を教えることがその本分でもあると言えます。
その教員が、
性欲に負けて教え子にわいせつ行為をしてしまうということが多発している現在、教育を受ける側(生徒)も教員に対する信頼や説得力というものを感じなくなってしまっている空気も助長されてしまっていると言えます。
理性を抑えきれずに、教え子の身体を触ってしまったり、わいせつ行為を働いてしまう教師や講師は、
人に物事を教えるという本質などを考えずに、仕事に従事をしているのではないでしょうかね。
勉強とは、
- 社会に出た際に待ち構えている色々な困難
- 難しい判断を強いられる時
に備えた思考プロセスの訓練の繰り返しでもあります。
それらのことを踏まえて、
教師や講師の中で、性欲の処理の仕方に判断が付かない人は、
風俗に行く習慣でも付けておいた方が、後の人生における負のリスクに対する大幅な軽減に繋がります。
自分の性癖を洗い出して、それを満たしてくれる風俗店に定期的に通う習慣を付けておけば良いだけのことです。
それをせずに、教え子に対して理性が効かない教師、講師などは、考えられません・・・汗
また、
教師、講師以外の人でも性犯罪を犯してしまいそうな自覚が少しでもある人は定期的に風俗に行く習慣を付けておくことも、
人生を進めていく上で、大きな判断ミスを避ける為の自己防衛の手段の一つになるのではないでしょうかねp( ̄○ ̄)q
人間である以上は日常生活において、魅力のある異性を見た際に、ムラムラしてしまうことは男女問わず生理現象でもあります。
社会生活をしている以上、その生理現象とは定期的に訪れてしまうことでもあり、
如何にそれに対して自制心を優位に動かすか、ということも人として必要な理性の一つでもあると言えます。
参考記事 : 神戸新聞NEXT様